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東京地方裁判所 昭和46年(特わ)1169号 判決 1973年1月11日

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和二三年三月ころ、新潟工業専門学校を中退し、通信機専門誌の編集に従事したのち、昭和三八年ころから多摩電気商会の名称で在日米軍補給廠から余剰物品である各種無線機、真空管などの部品の入札、買入に関係し、昭和四〇年ころから在日米軍立川基地第七ゲート近くにある通信機及び同部品の修理・販売業者である杉原電気商会に雇われ、米軍基地にも出入りし、中古の通信機材の入札・購入・その販売に従事し、通信機材等について豊富な知識を有していたものであるところ、前記杉原電気商会が銀座松坂屋で商品の展示即売会を開催した際、客として来場し、被告人から商品の説明を受けたことのある「エドワード」と名乗る外国人(真実は、在日ソビエト大使館付武官)から昭和四五年六月ころ、秋葉原で声をかけられ、喫茶店において「自分は三菱プレシジョンに勤務している者であるが、米空軍最新鋭のファンタム戦闘機に関する各種資料を収集しているが手伝つてほしい」旨の申入れを受け、当時、被告人は、妻の薬局開店費用の捻出に腐心していたので、前記エドワードの申入れに副うにおいては、多額の利益が得られるものと期待して右申し入れを承諾し、米軍用進行波管(真空管)などを入手しては前記エドワードに渡して対価を得たりなどしているうち、右エドワードがソ連大使館関係者らしいことをうすうす感ずるに至つたが、さらに同年九月一五日ころ国鉄中央線国立駅北口前路上で、右エドワードから合衆国軍隊の機密に属する航空機材等のテクニカル・オーダー(技術指示書)品目リストを渡されて、その入手方を依頼され、これに要する経費や資金を援助することや、ことに前記機密に属するテクニカル・オーダーを入手できれば高額で買入れる旨の申出を受けたので、被告人は、右品目リストに、合衆国軍隊の機密に属するテクニカル・オーダーが包含されていることを知りながら、利益を得るため、当時前記杉原電気商会にアマチュア無線の部品などを買いに頻繁に出入りしていた米空軍横田基地勤務の空軍軍曹アーネスト・ナサニエル・ムーディが、生活費に窮していたことから、同人を利用して前記機密に属するテクニカル・オーダーを収集させ、前記エドワードの依頼にかかるテクニカル・オーダーを入手しようと考えるに至つた。

(罪となる事実)

被告人は、他国人に譲渡するため、合衆国軍隊の機密に属する航空機器材等のテクニカル・オーダーを入手することを企て、昭和四五年九月二〇日ころから昭和四六年三月下旬ころまでの間、数回にわたり、東京都立川市緑町所在の在日米軍立川基地内等において、在日米空軍横田基地第五五六偵察中隊所属の曹長であるアーネスト・ナサニエル・ムーディに対し、同人が、刑罰法規及び合衆国軍規等に違反して同基地内の機密に属するテクニカル・オーダーの保管場所等からひそかに持ち出すなどして被告人に交付するに至ることを予見しながら、APQ―一二〇(ファイヤーコントロールレーダー)、AIM―二六(空対空ミサイル関係部品)など合衆国軍隊の機密に属する航空機、航空用兵器、航空用軍需品等のテクニカル・オーダー計四三点の品目リストを手交するとともに、現金合計二〇万円及びヤエスSSBトランシーバー一式(市価一三万八、〇〇〇円相当)を贈与したうえ、さらに多額の対価を約束するなどして右リスト登載のテクニカル・オーダーの入手方を依頼し、もつて、前記ムーディが不当な方法で、合衆国軍隊の機密である航空機、兵器その他の軍需品の構造又は性能に関する事項に係る文書を収集することを教唆した。

(証拠の標目)<略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(以下「刑事特別法」と略称する。)第七条第二項、第一項、第六条第一項に該当するところ、右所定刑期範囲内で、被告人を懲役二年に処し、諸般の情状を考慮して刑法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から三年間、右刑の執行を猶予することとする。

(主たる訴因を排斥する理由)

(1)  本件の主たる訴因の要旨は、「被告人は、昭和四五年九月中旬ころから同四六年三月下旬ころまでの間、六回にわたり、前記在日米軍立川基地内等において、在日米空軍横田基地第五五六偵察中隊所属の曹長で、機密に属するテクニカル・オーダーに接しうる地位にある前記ムーディに対し、合衆国軍隊の機密に属する航空機、航空用兵器、航空用軍需品等のテクニカル・オーダーの品目リストを手交するとともに、現金合計二〇万円及びトランシーバー一式を贈与したうえ、さらに多額の対価を約束するなどして右リスト登載のテクニカル・オーダーの交付を依頼し、もつて、合衆国軍隊の安全を害すべき用途に供する目的をもつて、かつ、不当な方法で、合衆国軍隊の機密である航空機、兵器その他の軍需品の構造又は性能に関する事項に係る文書を収集しようとしたが、同人が交付するに至らなかつたため、右収集の目的を遂げなかつた。」というものであり、これが刑事特別法第六条第一項、第三項のいわゆる機密収集未遂罪に該当するというものである。

(2)  よつて、まず前記刑事特別法第六条第一項にいういわゆる収集行為の実行の着手につき考察すると、一般に実行の着手とは、犯罪構成要件を実現する意思をもつて、その実行、すなわち犯罪構成要件に該当する行為を開始することをいうものと解すべく、すなわち、犯罪行為の実行の着手があつたかどうかは主観的には行為者が犯罪構成要件を実現する意思ないしは認識をもつてその行為をしたかどうか、客観的には一般に犯罪構成要件該当の事実を実現する抽象的危険ある行為がなされたかどうかを探究し個々の場合につき具体的に認定さるべき事実問題である。しかして、刑事特別法第六条第一項にいう「収集」とは、有形的な文書、図画又は物件を集める意思をもつて進んで集めとること、すなわち自己の占有に移す行為をいうものと解されるから、同条のいわゆる収集行為の実行の着手があるというためには、前記有形的な文書、図画又は物件の占有を自己に移す意思ないし認識をもつて、現実にその占有を移転する行為の一部又はこれに直接密接な行為を開始したと認められる場合でなければならない。

(3)  ところで前掲証拠によれば、一般に、合衆国軍隊のテクニカル・オーダーは基地内にある独立の建物であるT・O(テクニカル・オーダーの略称)ライブラリーに集中保管されているが、その内部はさらに機密に属するテクニカル・オーダーの保管場所と機密でないテクニカル・オーダーのそれとに分けられており、機密でないテクニカル・オーダーの保管場所には軍人、軍属であれば誰でも入ることはできるが、機密に属するテクニカル・オーダーの保管場所は機密課によつて厳重に管理されており、立入の許可を受け、アクセスリスト(証明書所持者名簿)に登載された者だけが立ち入ることができ、しかも許されているのは一部の機密を除き職務内容に応じたテクニカル・オーダーを閲覧することだけであり、これを持ち出すことも、コピーすることもできないこととなつていること、しかして、ムーディは米空軍横田基地第五五六偵察部隊に属し、C一三〇型輸送機担当の航空機関士(フライトエンジニア)であつて、機密に属するテクニカル・オーダーの保管場所に立入る資格を有していたものであるが、同人が適法に閲覧し得るのはC一三〇型輸送機に関するテクニカルオーダーのみであつたこと、したがつて被告人が依頼した機密に属するテクニカル・オーダーの多くは、米空軍最新鋭戦闘機であるファンタム戦闘機(F―4型式C・D・E各型機)の各種レーダー、空対空ミサイル等に関する電子装置、武器装備品等に関する科学技術関係の機密文書であり、すべてムーディの専門分野外のものであつて、これを入手するためには、合衆国の軍規に違反して閲覧を許容されていないテクニカル・オーダーを不法に閲覧し、そのうち一部を破りとり、あるいは撮影するしかなく、しかもその閲覧も機密課係員において不法を見逃した場合にだけ可能であつて、入手は全く不可能とはいえないまでも、その可能性は極めて乏しかつたことが認められる。そうすると、ムーディは合衆国軍隊の機密に属する本件テクニカル・オーダーに適法に接しうる地位にあつたとはいえないから、被告人にとつて、本件テクニカル・オーダーの入手は、ムーディ自身の決意とそれに基づく「収集」の実行行為を媒介として始めて可能であつたというべきである。もつとも刑特事別法第六条の機密を侵す罪は、対象たる合衆国軍隊の機密の所在のいかんを問わないと解すべきであるから、ムーディが機密に属するテクニカル・オーダーを偶然の事由により知得領有する場合には、同人に対しその交付を要求することによつて、機密を侵す罪又はその未遂罪の成立を認めうる場合がないわけではない。しかしながらムーディは横田基地から軍務を帯びて沖繩、タイ、ベトナムの空軍基地にしばしば飛行しており、これら飛行先の空軍基地におけるテクニカル・オーダーの保管が比較的ルーズであるため、同人達がソウルブラザーと呼び合つている黒人兵仲間に話して借り出したり、看守者が居眠りしているときや賭博に興じている隙に盗み出すことも不可能ではなかつたことが認められるけれども、同人において機密に属する本件テクニカル・オーダーを現に領有していた事実を認めるに足りる証拠はなく、そうだとすれば、被告人がムーディに対し本件テクニカル・オーダーのリストを交付し、現金などを贈与して収集を依頼したことは「収集」の教唆に止まり、現実に機密に属する本件テクニカル・オーダーの占有を被告人に移転する行為でないことは勿論、又これに密接した行為でもないから、「収集」の実行の着手があつたものとはとうていい難いところである。

(4)  検察官は、「機密侵犯の手段方法は、千差万別であつて、機密を知得領有する対象から直接的な方法により、機密を入手する事例は稀有に属し、むしろ知得領有の対象からの間接的な方法によつて入手、例えば機密を知得領有する者の部下職員や家族らに接近し、あるいは機密の保管場所に出入りが許されるもの等に接近したうえ、これらの関係者を通じて入手するなどが本罪の一般的行為類型であり、このような第三者利用による行為類型のうち、機密の探知収集の実現が可能であり、少なからずその危険が認められる場合には、探知、収集の実行の着手があつたものと解すべきである」旨主張するけれども、右行為は、いまだ一般的行為類型、すなわち一般的に観察して「収集」又はそれに直接密接な行為とは認め難い。又検察官は、「刑事特別法第六条はいかなる重要な機密といえども、一たん公になれば、その機密性を失う建前をとつているから、機密の漏洩防止に万全を期するために探知、収集又は漏洩の各行為の既遂前の段階における行為であつて、その行為の実現の危険性が少なからず認められるような行為は、法益侵害の危険性が生じたというべきであつて、すでに実行の着手ありと認定すべく、このように解することが、刑事特別法第六条の制定の目的にも合致する」旨主張するけれども、同法が検察官の主張するような目的のもとに、処罰の範囲を拡張し、合衆国軍隊の機密の探知、収集、漏洩のみに止まらず、その陰謀・教唆・せん動をも独立して処罰の対象としている法意に照すと、右のような解釈は、実行の着手と予備段階に属する陰謀・教唆・せん動の区別を不明確ならしめ、犯罪構成要件の不当な拡張を招くとの非難を免れないものといわなければならない。

(5)  そうすると、本件主たる訴因については、実行の着手に至らないと認められる以上、爾余の点を判断するまでもなく、機密収集未遂罪は成立する余地がないというべきである。よつて、検察官の主張は理由がない。

(弁護人の主張に対する判断)

(一)  弁護人はまず、「被告人の行為は、ムーディに対するテクニカル・オーダーの交付依頼行為だけであつて、テクニカル・オーダーの収集までも依頼したのではないから、機密収集教唆罪は成立しない」旨主張する。

しかしながら、被告人及びムーディの検察官調書によれば、被告人はムーディが、本件テクニカル・オーダーを占有していないことを知つて、他からこれを入手することを依頼したことが認められるのみならず、被告人は、当公判廷において「エドワードから頼まれた紙片をムーディに見せたところ、一応捜してみるという返事をもらつたので、その結果を尋ねるため、立川基地の第七ゲート付近でムーディと会つた」、「ムーディのハウスに行つたとき紙片を渡して、こういうものが手に入るかどうか捜してみてくれと頼んだ。」、「借りてきてくれれば、コピーして返すと、ムーディに言つた。」等と供述しており、被告人がムーディに対し単に本件テクニカル・オーダーの交付を依頼したのではなく、進んでそれの収集を依頼したことは明白といわなければならない。

よつて、弁護人の主張は理由がない。

(二)  次に、弁護人は、「かりに、被告人のムーディに慫ようした行為が、テクニカル・オーダーの収集を依頼した趣旨を含むとしても、ムーディは当初から、被告人の依頼に応じて、テクニカル・オーダーを収集する意思も、又これを被告人に交付する意思も毛頭なかつたから、本件は教唆の未遂というべきところ、教唆については未遂を処罰する規定を欠くから、本件は無罪である」旨主張する。

なるほど、前掲証拠によれば、ムーディは被告人から数回にわたり機密に属するテクニカル・オーダーの収集依頼を受け、被告人に対してはいかにもこれを入手すべく努めているかのような素振を示し、被告人から金品を受け取つていたことは認められるが、被告人依頼のテクニカル・オーダーを入手したことも、又入手すべく何らかの実行行為に出た形跡も認められない。又被告人がムーディから「タイのコラート基地の友人がトランシーバーを欲しがつているので、それをやれば同人から機密のテクニカル・オーダー二、三冊を借りることができる」といわれ、判示の如くヤエスSSBトランシーバー一式をムーディに供与した事実が認められるけれども、ムーディの検察官に対する供述調書によれば、同人は当初からかかる方法によつてテクニカル・オーダーを収集する意思はなく、高価な物品を要求すれば、被告人はテクニカル・オーダーの入手をあきらめるであろうと考えて右のように要求したというものであつて、その真否はともかく、ムーディが、テクニカル・オーダーの収集を決意したことを認むべき証拠は存在しない。

しかしながら、刑事特別法第七条は、その第二項において教唆を独立の犯罪類型として規定するとともに、他方同条三項において刑法総則に定める教唆犯の成立を排除していないから、いやしくも他人をして刑事特別法第六条各項に該当する犯罪を実行する決意を新たに生じさせるに足る危険性のある行為があつた場合において、その意思表示が相手方に到達したときは、被教唆者をして犯罪を実行させるに至らない場合は勿論、犯罪の実行を決意させるに至らなかつた場合でも、その教唆行為を独立して処罰する趣旨と解すべきである。したがつて、本件においては、ムーディが、テクニカル・オーダーの収集の実行行為に出た形跡及び実行の決意をした事実が認められないとしも、被告人が、昭和四五年九月から翌四六年三月まで七ケ月間にわたりムーディとたびたび接触し、再三にわたつて、テクニカル・オーダーの品目リストを交付したうえ、多額の金品を贈与した行為は、他人をして犯罪の実行を決意せしめるに足りる危険性のある行為というべく、刑事特別法第七条第二項の教唆罪の責任は免れないといわなければならない。弁護人は、「右の如く、被教唆者が犯罪実行の決意をするに至らない場合にまでも、独立教唆犯の成立を肯定するときは、教唆行為の態様は、明示的なものから、黙示的、暗示的なものに至るまで殆んど無限であり、その範囲はひろくなりすぎるばかりか、限界づけさえも不可能となり、刑法における厳格解釈の要請と相容れないものである」というけれども、教唆が、被教唆者という特定の相手方を予定した行為である以上、その意思表示が相手方に到達する限り、その相手方が犯罪実行の決意をするに至らなくとも、教唆行為の存在自体は明らかであつて、決して無限界、不明確とはいえないのみならず、若し被教唆者において犯罪実行の決意を抱くに至つたことを必要とする見解をとるときは、外部から容易に窺うことのできない内心の意思いかん、すなわち被教唆者の主観や偶然が、教唆犯の成立を左右することとなるばかりでなく、さらに被教唆者の犯罪実行の決意の存否が、結局は客観的情況からの推認、通常は実行の着手と認めうる行為ないしはそれに近接した行為の存否に依存するほかないとすれば、本件教唆犯は、被教唆者の実行行為、すなわち正犯に従属して成立する場合に比してなにほどの差異も存しないこととなるのではあるまいか。かくては、正犯に対する従属性を断ち切つて、独立教唆犯を認める意義の大半は失なわれるわけであつて、これが予備的段階における行為をとくに処罰することによつて合衆国軍隊の機密の侵犯を未然に防止しようとする立法の趣旨と相容れないことは明らかといえよう。よつて、弁護人のこの点に関する主張も亦採用の限りでない。

(三)  次に、弁護人は、本件教唆犯は被教唆者に対し機密の収集を慫ようするだけではなく合衆国軍隊の安全を害すべき用途に供する目的をもつて、又は不当な方法で収集すべきことを慫ようした場合にのみ成立するものというべきところ、被告人からムーディに対し、右の目的があることを告げたり、又は不当な方法で収集するよう慫ようした事実はないから、犯罪の構成要件を欠き本件教唆犯は成立しない」旨主張する。ところで、本件の教唆犯が成立するためには、教唆者が被教唆者に対して、単純に、合衆国軍隊の機密を収集させる意思をもつて慫ようするだけでは足りないことは勿論であるが、本件の如く被教唆者が適法に合衆国軍隊の機密に接しうる地位にはなく、かつ不法な方法による機密の収集について知識を有する場合においては、教唆者が、被教唆者において合衆国軍隊の安全を害すべき用途に供する目的をもつて、又は不当な方法で合衆国軍隊の機密を収集する意思を生じ、その意思に基づいて特定の犯罪を実行するに至るべき事実を認識ないし予見して収集を慫ようする以上、機密収集の目的又は方法を告知しなかつたとしても、本件教唆罪の成立に欠けるところはなく、又右の教唆者の認識予見はもとより未必的又は概括的なそれをもつて足りるものと解すべきである。

本件について、これをみると、被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人は、かねてから多少合衆国軍隊の安全防衛規定(セキュリティ・ガード・レギュレーション)の内容を知つており、C一三〇型輸送機の航空機関士であるムーディの立場では、ファンタム戦闘機に関する本件テクニカル・オーダーを入手することは一般的に不可能と考えていたこと、又、被告人の検察官に対する八月二日付供述調書によれば、被告人は、機密に属するテクニカル・オーダーの保管の態様については具体的には知らなかつたが、機密でない一般のテクニカル・オーダーと区別されて厳重に保管されていることは横田基地に出入りしている友人の話などから開いて知つていたこと、したがつて、ムーディは、機密のテクニカル・オーダーを自分自身で保管している立場ではないが、何らかの方法で機密のテクニカル・オーダーを借り出してくることはできるかもしれないし、又ベトナムの戦場では機密のテクニカル・オーダーの保管がルーズであることを雑誌で読んだことがあるので、ムーディが現地へ行つたとき入手できるのではないかと考えていたこと、事実ムーディ自身の口からべも、ベトナムではテクニカル・オーダーを保管している兵隊が昼間賭博をやつたり、夜間居ねむりをしているので、その隙をみて盗み出すことができるという話を聞かされていたこと、さらに、その後ムーディからタイ空軍基地にいる友人にトランシーバーをやれば機密のテクニカル・オーダー二、三冊を借り出せるといわれて、トランシーバーの交付を要求されたこと、一方ウイリアム・ジェー・グルーネンワルドの司法警察員に対する供述調書によれば、合衆国空軍には、「機密情報保護のための第二〇五―一規則」があつて、すべての合衆国空軍所属の軍人は、この規則の遵守を義務づけられていることがそれぞれ認められる。右の事実によれば、被告人は、ムーディが適法に機密のテクニカル・オーダーを収集しうることについては殆んど悲観的であつて、被告人が未必的、概括的に予見しえた収集の方法は、窃盗、賄賂の提供など一般の刑罰法規にふれる違法なものであるばかりか、借出による収集ですら、機密保護を義務づけた合衆国軍規に違反する不当な方法というべきであつて、このような認識ないし予見に基づき合衆国軍隊の機密に属するテクニカル・オーダーの収集をムーディに依頼した被告人の行為は、何ら収集の方法につき具体的指示をしなかつたとしても、結局機密収集教唆罪を構成するものといわなければならない。

もつとも、被告人の当公判廷における供述及び検察官に対する前掲供述調書によれば、被告人は、ムーディに対し、テクニカル・オーダーの収集を依頼する以上は、自分も秘密を守り、迷惑をかけないと約束し、又ムーディがあまり危かしい方法で収集すれば、事が露見するおそれがあることを心配し、同人に対し「あまり無理をするな」と注意していることが認められるけれども、それは犯罪を教唆した者が、その発覚をおそれる気持からする自己保存の本能的な配慮であつて、これによつて、被告人が不当な方法による収集を予見していた事実を否定しうるものではなく、むしろ、確定的な予見の存在すら窺わせるに足りるものである。被告人はさらに、当公判廷においてムーディのテクニカル・オーダー収集の方法につき、「横田基地から日本側廃品回収業者に払下げられる廃棄物の中に、テクニカル・オーダーを含む多量の印刷物があり、自分がこれを選別するとすれば多くの時間と経費がかかるので、業者に払い下げる以前に、ムーディが基地内の廃棄物集積場から拾つてきてくれれば簡単に入手できるのではないかと考えて、ムーディに頼む気になつた」旨弁解しているが、これが被告人において予見しえた唯一の収集方法でないことは、被告人がこの点を捜査段階では全く供述していないのに、当公判廷に至つて始めて供述しているところからみても明らかであるばかりか、この方法も、廃棄物とはいえいまだ合衆国軍隊の占有下にあつて有償処分を予定されている財物に対するものであつてみれば、果して適法な収集といえるかどうか疑問のあるところといわなければならない。さらに、被教唆者たるムーディにおいて、被告人の教唆の意味内容を充分に理解していたが、良心の呵責から結局実行行為に至らず、自から進んで合衆国軍隊の官憲に申告した事実も亦証拠上明らかなところであつて、被告人の予見した収集方法が不当なものであつたことはいつそう顕著というべきである。

よつて、被告人が機密に属するテクニカル・オーダーの収集をムーディに依頼した際、その目的又は方法を告げなかつたから本件教唆罪は成立しない旨の弁護人の主張は理由がないといわなければならない。

(四)  最後に、弁護人は、「刑事特別法により保護されるべき合衆国軍隊の機密につき、若し、権限を有する合衆国軍隊等により指定を受けて始めて秘密となる、いわゆる形式秘(指定秘)説をとるときは、日本国民の側から知りえない外国法規若しくは処分がわが国刑罰法規の構成要件の中に強く入りこむことになり、このような刑事特別法第六条、第七条は、いわゆる白地刑法の典型であつて、罪刑法定主義を定める憲法第三一条に違反する。又若し、事項の性質自体から秘匿を要するものが秘密となる、いわゆる実質秘(自然秘)説をとるときは、刑事特別法の如く極めて重い刑罰をもつて保護される秘密たるためには、それが単に秘密指定があり公になつていないというだけでは足らず、それが合衆国軍隊の安全が害せられるおそれがある程度に秘匿を要するものでなければならないところ、本件は、その点についての証明を欠く。したがつて被告人は、いずれの点からしても無罪である」旨主張する。

しかしながら、まず、合衆国軍隊の機密の定義については、刑事特別法第六条において、「合衆国軍隊についての別表に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画若しくは物件で、公になつていないものをいう。」と規定しているから、弁護人が主張するような意味での形式秘、実質秘の論議はさして実益のないものと考える。けだし、たとえば国家公務員法第一〇〇条第一項、自衛隊法第五九条第一項の如く「職務上知ることのできた秘密」を洩らした為が、服務規律違反を構成して懲戒事由となるに止まらず、他方において犯罪を構成して刑罰事由となるときは、右の諸規定が、その刑罰法規たる側面において、真に法律が意図する可罰の限度を超えて、不当に拡張して適用される危険が存することは否定し難いところであるから、「職務上知ることのできた秘密」が、真に刑罰によつて保護されるに値するものであるかどうかという観点から、明文にかかわらず刑罰法規としての前記諸規定に解釈上合理的な制限を加えることが、まさに基本的人権の尊重及び罪刑法定主義の精神にそうゆえんであつて、そこに実質秘の概念を用いる実益があるからである。したがつて、刑罰をもつて秘密をどこまで保護すべきかは、先ず第一次的には立法政策の問題であるところ、機密の侵犯が、つねに刑罰事由となる「合衆国軍隊の機密」については、その可罰の範囲は法律自体が明らかにしているところであつて、国家公務員法や自衛隊法のような意味での形式秘と実質秘を区別して論ずるまでの必要はないというべきであるが、強いてこれを論ずるとすれば法律の条文に則して考察するほかなく、しかるときは、「合衆国軍隊についての別表に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画若しくは物件」であることが「合衆国軍隊の機密」の形式的要件をなし、「公になつていないもの」であることが、その実質的要件というべきであろう。そして右の実質的要件、すなわち何らかの経路又は方法によつて公になつた場合には機密性を失ない、刑罰による保護の対象から除かれる旨の要件があることからすれば、刑事特別法第六条、第七条は、窮極において、いわゆる実質秘又は自然秘を保護の対象としていることは明らかといえよう。

弁護人は、刑事特別法が実質秘を保護の対象としているとすれば、右のほかに、「合衆国軍隊の安全が害せられるおそれがある程度に秘匿を要するものであること」を要件として加えるべきであるというけれども、その旨の明文を欠くばかりか、およそ軍事上の機密には多かれ少かれ、その侵犯によつて軍隊の安全を害される可能性が内包されているから、さらに右のような限定を解釈によつて付加する実質的理由も亦見出し難いところである。そればかりでなく、個々の機密と合衆国軍隊の安全とが、どのようなかかわり合いをもつかという実質的判断は、他国と敵対関係が顕在化した戦時又は準戦時にあつてはともかく、平時においては、アメリカ合衆国の国益、政策及び同国をめぐる軍事情勢や国際政治の動向、さらには各国の兵器開発及び軍需産業などの諸事情にも深くかかわるところであるから、合衆国自身がこれを決すべき問題であつて、わが国裁判所のよくなしうるところではなく、このことは、単に機密の内容を公開の法廷に持ち出すことが、機密の本質と矛盾するからという理由によるものではない。

又弁護人は、刑事特別法第六条をうけた同法別表に定める合衆国軍隊の機密の範囲は、およそ同国軍隊に関するあらゆる事項を網羅しており、同表の規定は無きに等しく、実際には合衆国軍隊が個々に機密指定をなすことによつてその範囲が定まるから、日本国民の知りえない外国法規又は処分が、わが国の刑罰法規たる刑事特別法第六条、第七条の構成要件を補充する役割を果しているというけれども、合衆国軍隊における機密保護に関する法制、機密指定に関する処分、法令の解釈の如きは、刑事特別法別表の内容を補充する法規たる地位を有するものではなく、合衆国軍隊内部における機密保持の実情などとともに、機密の実質的要件ともいうべき「公になつていないもの」であるかどうかを判断するための、重要な、一つの資料にすぎないものというべきである。しかして、右の「公になつていないもの」であるかどうかは、右の如き合衆国軍隊内部の事情のみにとどまらず、ひろく合衆国軍隊外の社会的諸事情をもふまえて考察すべき事実問題であつて、その認定が裁判所に委ねられていることは、他の国内法と軌を一にするものであり、結局、何が「合衆国軍隊の機密」であるかは、わが国刑事特別法自身が、外国法規の補充をうけることなく、自己完結的に規定しているものにほかならないから、これをもつて罪刑法定主義に反するものといえないことは明らかである。

そこで、被告人が収集を企図した本件テクニカル・オーダーが「合衆国軍隊の機密」に該当するかどうかにつき判断する。まず、刑事特別法別表に照すと、右のテクニカル・オーダーが、同表二のハの「艦船。航空機、兵器、弾薬その他の軍需品の構造又は性能」にかかる文書であることは疑う余地のないところである。そこで、本件テクニカル・オーダーが「公になつていないもの」であるかどうかにつき検討を加える。前掲証拠を総合すると、(1)合衆国空軍の機密文書は重要度の高い順から、(イ)トップシークレット(第一種機密)、(ロ)シークレット(第二種機密)、(ハ)コンフィデンシァル(第三種機密)、(ニ)レストリクテッド(第四種機密)の四種に区分され、そのうちレストリクテッドは、現在は使つていないが、これに代わるアンクラシフィッドの指定区分を設け、いずれも許可された者以外は使用できないこととされていること、(2)これら合衆国空軍の機密区分は、機密保全度格付システムの基本となる「機密情報保護のための第二〇五―一規則」に基づき厳格に指定され、各文書等に秘密区分を表記することとなつており、機密の指定解除は、右規則に従つて焼却等の処分をなし、それを担当者が証明することによつて正式に廃棄処分にすること、(3)本件テクニカル・オーダーは、現にいずれもシークレット(第二種機密)若しくはコンフィデンシァル(第三種機密)に該当するものであること、(4)横田空軍基地では、テクニカル・オーダーを基地内のT・Oライブラリーに保管しているが、とくに機密に属するテクニカル・オーダーは、すでに認定したようにその中の機密課の一室に厳重格納し、その部屋にはアクセスリストに登載された者で、しかも受付でチェックを受けたもの以外は入室及び閲覧を禁止し、又ある種の機密のテクニカル・オーダーについては、例外として基地内の修理工場等の一室に移すこともあるが、この場合でも厳重保管が義務づけられていることがそれぞれ認められる。右の事実によれば、本件テクニカル・オーダーは、合衆国軍隊の機密に属するものとして厳格な管理のもとにおかれていることが明らかであつて、「公になつていない」蓋然性は極めて高いものといわなければならない。しかして「公になつていない」という客観的事実は、前記の如く合衆国軍隊の内外の社会的諸事情にかかわる事実問題であるが、合衆国軍隊が本件テクニカル・オーダーをどのように取扱つているかという内部事情は、その最も重要な側面であるから、反証のない限り右の如き高度の蓋然性をもつて「公になつていない」ことの証明は充分というべきであるが、さらに、すでに認定したような本件テクニカル・オーダーの入手はめぐる被告人及びエドワードらの隠微非公然の行動も亦、本件テクニカル・オーダーが「公になつていない」結果であつて、その蓋然性をいつそう高めているといわなければならない。

しかるに、被告人は、「横田基地におけるテクニカル・オーダーの取扱の実情は、かなりルーズであつて、しばしば他の廃品と一括して日本側業者に払い下げられ、基地外に流出している疑いがあり、現に自分も、機密に属すると思われるテクニカル・オーダーを立川市内の廃品回収業者から買つて所持している」旨弁解するので、さらに検討すると、「公になつている」とは、これを公にした人のいかんや公になつた事由のいかんを問わないが、何らかの経路又は方法によつて不特定多数の人に知られている状態を指称するものと解すべきところ、被告人が偶然廃品回収業者から機密に属すると思われるある種のテクニカル・オーダーを入手し、これを私蔵しているとしても、それだけではいまだ不特定多数の人に知られている状態ではないから、「公になつている」といえないことは勿論であり、その他機密に属するある種のテクニカル・オーダーが基地外に流出している疑いがあつたとしても、それが疑の域を出ず、又いかなるテクニカル・オーダーに関するものであるかが明らかでない以上、本件テクニカル・オーダーの機密性までも失なわせるに至るものでないことも明らかである。

よつて、刑事特別法第六条、第七条が憲法第三一条に定める罪刑法定主義に反して無効であり、又本件テクニカル・オーダーが実質秘たることの証明がないから無罪である旨の弁護人の主張はいずれも理由がないというべきである。

(量刑の理由)

いわゆる日米安全保障条約の存続及びこれに基づく合衆国軍隊のわが国駐留については、今日なお国論が二分し、国民的合意の極めて困難な状況にあることは顕著な事実であるが、同条約が、わが国の安全と極東における国際の平和及び安全の維持に寄与することを目的として、現に存在する限り、これを誠実に遵守することは、わが国政府の憲法上の義務であるとともに、国民も亦同条約に基づく国内法規に従う義務があることは論をまたないところである。しかるに、被告人の本件所為は、同じく在日合衆国軍隊に不利益を強いる結果となる行為であつても、一部の国民が一定の政治理念に基づき基地の撤去を求める政治運動とは全く性質を異にし、専ら合衆国軍隊の存在に寄生して、その機密を他国に売却して自己の利欲を満足させようとする意図に出たものであり、これが在日合衆国軍隊ひいてはわが国の安全に少なからず影響を及ぼすことは明らかであつて、いかなる立場からもとうてい支持され難いものというべく、祖国を持たない者の売国的スパイ行為と同視され、非難を免れないのは当然である。しかしながら本件において被教唆者たるムーディが収集の実行行為に出なかつたため、実害が発生しなかつたこと及び被告人は本件につき反省悔悟していることが認められるなど諸般の情状を考慮するときは、いま直ちに実刑を科するのは、相当でないと考える。

よつて、主文のとおり判決する。

(橋本享典)

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